『もののけ姫』で、サンはあくまで人間であり、人間の言葉を話す。人間も自然のなかの存在であるという主張なのかも知れないが、この映画だと意志の疎通ができる自然であり、現実とは異なるから、ここに何か問題がある気がする。

そうですね。『ナウシカ』の王蟲はまったく人語を話しませんからね。ただし、シシ神や木霊は人語を解しているのかどうかも分かりませんし、サンもその声を聞き取ることはできません。自然の核になる部分はやはり人間には理解しえないものだ、その思考の枠組みを超越したものだ、という思想は貫かれている気がします。人語を解する動物神たちは、恐らく自然保護運動に躍起になる「活動家」をも象徴しており、それを描く宮崎駿の視線には皮肉と揶揄も込められているようです。