「非決定」という考え方を初めて聞きました。中立というと立派かも知れませんが、ただ決定を避けることは弱さだと思います。この考えでは何かを決めること以上の決断力や意志が必要になるのではないでしょうか。
非決定については、決定をすることの方を弱さと考えるのです。実は、人間は安定性を志向する生き物ですので、どっちつかずの情況に自分を置くということは、心身に大きなストレスをかけることになります。どこかに身を置いて安定したいという欲求が、友人関係を紡ぎ、家族を構築し、大きな共同体へと発展させてゆく原動力にもなっているのです。非決定は、そうした〈安易に安定を求める志向〉へのアンチ・テーゼで、自らの心身をすり減らしてでも立ち止まる姿勢なのです。これはそれなりに意味があるのですが、非決定を選択しうる自由が前提となっている点が問題と思います。つまり、アシタカのように非決定を余儀なくされる存在においては、何の意味ももたらさないのです(なんかぼく凄いこと書いてるな、こんなこと簡単に言ってしまっていいんだろうか。皆さんよく考えてください)。