屈原澤畔、漁夫江濱

【レジュメの訂正点(主要なもの)】
・幾つかの点で、誤字・返り点の脱落等がありますが、ケアレスミスの範囲です。あとは、『箋注』の訓読にもう少し忠実であった方がよかったでしょう。
・「指人過失短」(レジュメp.1-l.19)……「人の過失を指すを短と曰ふ」と訓読します。この箋注が加えられた「短る」という言葉への説明です。よって現代語訳の方も、「子蘭の過失を屈原が指摘するのを非難していう」と深読みする必要はありません。
・関連史料を多く紹介している点は大変評価できます。なお、レジュメへの掲載については、今回のように打ち込んでもコピーをしてきても構いません。ネット上では、最近漢籍のテキストデータも多く公開されていますので、それを利用するのもいいでしょう(例えば、台湾中央研究院・漢籍電子文献〈http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/〉では、『二十五史』や『十三経』の全文テキスト検索が可能です)。ただし、それらのうちには使用した写本・刊本などが不明のものもありますので注意が必要です。
【テーマについて】……現代で屈原を扱う場合、多くは『楚辞』など文学との関連で追究されることがほとんどです。しかし『蒙求』にみるように、その政治家としての潔白さが称賛されることも、古来少なくありませんでした。発表では幕末の『靖献遺言』が紹介されましたが、国学に対抗して儒学でも勤王思想が喧伝されだした頃、『蒙求』のような書籍は重宝されたものと思われます。とくに、周王を奉じて諸侯が覇権を競った春秋のような時代は、天皇制のもとで政治手実力者が交替してゆく日本の権力構造と類似し、扱いやすかったのかも知れません。屈原は戦国期の人物ですが、その清廉な忠義は、記・紀以来の日本的忠心表現である「清き明き心」にぴったり当てはまるものだったともいえます。現在も長崎で年中行事となっているペーロン競争は、投身した屈原を救うため人々が競って舟を出した故事に由来するともいいます。長崎は幕末の志士たちが多く活躍した場所であり、なぜその地にペーロン競争が根付いたのかを考えるのも面白そうです。