馮異大樹、千秋小車

【レジュメの訂正点(主要なもの)及び注意すべきスキルについて】
・返り点・書き下しについては、ほとんど誤りはありませんでした。箋注本の訓読を注意して復原していて、大変秀逸でした。ただし、本文と箋注の区別はもう少し明瞭に付けた方がよかったと思います。
・「光武署為主簿」「光武以此多之」(レジュメp.1上段原文l.6、p.5上段l.10)……「署」と「多」の2字については、この文章の場合、それぞれ「しるす」「おほし」と訓読みしてしまうと、記入すること・多いことに意味が限定されてしまいます。我々の漢文を読む作業は漢語からヤマト言葉への翻訳なので、この点少々注意が必要です。ここでは「署」は配分、「多」は箋注が付いているように重んじる意味なので、それぞれ音読みして「ショす」「タ」とすべきでしょう。
・語注について……今回の報告に限ったことではないのですが、どんな事典・辞典を使って語注を付けるかにも注意が必要です。まず字句の場合、原則としては『大漢和』(簡単なものは『広辞苑』などでもよい)、歴史的語彙については相応の分野の最新の事典(できれば執筆者の署名のあるもの)を使用すべきでしょう。人名や地名、官職名などについて辞典を用いると、最新の研究が活かされていない場合があります。また、複数の事典に該当項目があった場合、その精確さを判断できなければ、より詳細な方を選ぶ、もしくは両者で補完して注を付けるのが原則です。もちろん、不用と思われるところは割愛したり、全体を要約しても構いません。本当は、各注についても、自分の書いたことは細かい点まで理解しておくことが大事ですね。
【テーマについて】……どちらの人物も武帝光武帝といった前漢後漢の名君の周辺の人物で、彼らによってその才覚を見出されている点が重要です。これまでの項目にも共通してきた、見出す者/見出される者との関係が如実に窺えます。また、馮異や千秋の素晴らしさを誉め称えることが武帝光武帝を賛美することにも繋がり、王権の強化の役割を果たす言説になっている点も注意すべきでしょう。報告では車千秋の方は割愛し、「大樹将軍」という称号が徳川幕府にまで繋がってくることを扱っていましたが、もし専門が古代でも、近世や近代にまで視野を拡大して歴史を考えることは大切ですね。レジュメにも書かれているように、この称号の浸透と広がりが、世界を樹木に喩えるメンタリティと関連しているとすれば大変面白いと思います。授業中にも触れましたが、日本各地には巨樹伝説が多く残っていて、地名としても伝わっています。世界樹という発想はそれこそ世界中にみられますが、そのなかでも日本は樹木への思い入れが強いのかも知れません。武家のトップを指す「棟梁」も樹木に由来する表現ですから、「大樹将軍」の定着とも繋がりがあるのかも分かりませんね。なお、「馮異大樹」の物語自体は、古く『書紀』の中臣鎌足薨去の周辺で用いられます。鎌足が馮異に準えられるわけですが、彼はその後、乙巳の変で王権を守護し奸臣を成敗した英雄として、武家や幕府と天皇との関係を正当化する象徴としても使われてゆきます。鎌倉の地は、中世になると、鎌足が入鹿の首を斬った鎌を埋めたために「鎌倉」というのであり、その玄孫染谷時忠が初めて関八州惣追捕使に任命され本拠を置いた地と語られてゆきます。その背景に「大樹将軍」の物語が隠れているとすれば、中国と日本古代〜近世を繋ぎ貫く流れがみえてきて興味をそそられます。