『道成寺縁起』の人形アニメを観て思ったのですが、お寺の鐘は仏様と何か関係があるのでしょうか。なぜ道成寺の僧たちは安珍を鐘に隠し、仏がいる本堂に隠さなかったのか。もしかすると、鐘は仏の分身のように信仰された時期があったのかも知れない。

そうかも知れません。梵鐘の起源は仏教の故郷であるインドではなく、古代中国の青銅の楽器だと想定されています。現在の吊るす部分に龍を配し、上部に乳と呼ばれる突起を並べ、撞木の当たる箇所は蓮華座に象る形状は中国で生まれたものです。乳が仏像の羅髪にみえるので、仏と同体とする俗説もあったようですね。日本では、弥生時代に祭祀用の青銅の鐘「銅鐸」が作られましたが、これが古代や中世に出土し、梵鐘と間違われたこともあったようです。紫式部源氏物語を書いたことで知られる滋賀県石山寺の周辺は、巨岩が林立するところから神聖な地と認識され、弥生時代には祭祀場となったようで銅鐸が出土しています。石山寺の創建について記した『石山寺縁起絵巻』をみますと、同地から巨大な「宝鐸」が出土したことから仏教の聖地だと騒がれる場面がありますが、これは恐らく銅鐸を指すのでしょう。いずれにしろ、梵鐘は仏教を象徴する神聖な宝器とみられていたので、安珍を隠すこともそのあたりから想を得たものでしょう。それにしても独特な発想です。