三内丸山遺跡のような豪雪地帯に住む縄文人は、儀礼などぬきに冬の食糧確保のためイノシシを家畜化していったのではないか。 / 琵琶湖底で見つかったイノシシ20体がすべて子供なのはなぜか。もし家畜化するなら、交配させるために一部は大人にすると思うのですが。また、家畜化できるほど食糧に余裕があったのですか。

日本でヨーロッパほど牧畜が発展しなかったのは、やはり与えねばならない餌と得られる肉との関係からエネルギー効率が悪かったためだと考えられています。よって、もし縄文期に猪の家畜化が行われていたとしても、小規模かつ一時的なものに過ぎなかった可能性が高いでしょう。縄文時代は全期を通じて温暖でいずれにしろ提唱されたばかりの見解で、まだちゃんとした論文、報告書も公刊されていませんので、これから厳密に吟味してゆかなければなりません。なお、発掘された遺物や東北アジアの民族文化からすると、縄文期における鹿や猪の狩猟は主に冬期に行われていたようです。春から秋にかけては野草や木の実、魚介類など、獣より採りやすいエネルギー源が豊富にあったということでしょう。北アメリカの狩猟民族チペワイアンなども、秋から冬にかけてカリブー(北アメリカ産トナカイ)を大量に狩猟し、干し肉などにして保存し1年かけて消費してゆくのです。縄文期における家畜化の必要性は、時期や地域環境によってずいぶん限定されるのではないでしょうか。