農耕の害獣が守護神となるという思想は理解できるが、実際に彼らが田を守ってくれるわけではない。とすれば、害獣を地霊として祀りながら、現実には駆除も続けられていたのだろうか。

続けられていたと思いますが、そこには未だ、精霊を滅却してしまわない限りは殺害にはならない、という論理が働いていたと考えられます。ここから先は宗教学的な解釈論になりますが、イエスが人間の罪を背負う存在としてまさに「犠牲」になったように、鹿たちも田畑の豊穣を祝福するために血肉を捧げた(という認識だった)のではないでしょうか。「動物の主」が供物を期待して血肉を与えに=殺されに訪れるように、鹿はやはり供物を期待して豊穣を授けにやって来る。人間の獲得するものが肉から豊穣へ変わっただけで、神話・信仰・祭儀の構造は、狩猟採集社会から変わっていない。弥生絵画に窺われる鹿の神話は、狩猟採集期のそれから農耕期へ移る過渡期的存在だったのでしょう。