血=穢れという印象があったので、生命の象徴として田畑に撒くというのは意外でした。血が穢れたものと認識されるようになるのは、月経と関係があるのでしょうか?
これは非常に難しい問題です。穢れ観が未成立の段階では、女性の経血も生命の象徴としてみられていたと考えられます。とくに縄文期のような再生信仰の強い時代、女性の子供を産む力と大地の豊穣の力とを重ね合わせ、その象徴として妊娠した女性像=土偶を祀っているような社会ではそうだったでしょう。しかし一方で、日常を破壊するほどの力を持った存在を忌むベクトルや、いわゆる境界的なもの(何にも分類できないもの、それゆえに恐ろしい力を秘めたもの)を敬遠するベクトルも、前近代社会や民族社会には存在しました。男性を中心とした社会が高度に構築されてゆくなかで、それを動揺させるような対立項が一括りにされ、自然=女性というカテゴリーが明確になってくると、その力の象徴である血自体も忌むべき存在と位置付けられます。さらに、仏教が入ってきて女性を「罪深いもの」と喧伝すると、もともと「穢れ」に潜在していた畏怖すべき強力な力自体も、単なるマイナス・イメージでしか捉えられなくなるのだと考えられます。