『古語拾遺』御歳神条に出てくる大地主神とは、オオクニヌシのことですか。また、御歳神はオオドシのことでしょうか。

そうだともいえるし、違うともいえます。ここ20年くらいの日本文学の研究は、例えば『古事記』と『日本書紀』に書かれている神話世界は似ているが違う、ゆえに両者を互いに補完させて「記紀神話」なるものを創り出してはならないという見方を定着させました。事実、『古事記』では死んで黄泉国へゆくイザナミが、『書紀』の本文では死んでいない。世界の始まり方についても、『古事記』では天地開闢の以前から高天の原が存在するのに対し、『書紀』では高天の原は登場せず、中国的な陰陽和合による天地の誕生が語られます。『古語拾遺』などはアンチ中臣的立場で書かれているので、より一層別個の神話体系であるとみた方がいいわけです。ゆえに、御歳神条に出てくる神々を、単純に『古事記』などのそれに当てはめて理解するのは問題があると思われます。