自然のなかにいる神に対して、なぜ自然のなかから動物を捕らえ、それを捧げる必要があるのでしょう。

古代にあっては現在の我々のように、自然=神/文化=人間という二項対立的なものの見方をしていないということでしょう。『書紀』や『古事記』のなかには、神が人間とともに狩猟を競うというエピソードも出てきます。日本の神は自然を支配したり管理したりしているわけではないので、野生の捧げものも喜ぶのです。昨年の夏に調査に赴いた雲南省の納西族では、自然の神〈署〉に対しては家畜しか捧げてはいけないそうです。野生のものは〈署〉のものという区別があるからで、いかに民族社会の信仰だろうと、この種のカテゴライズはそれほど古いものではないと考えられます。