動物を儀礼の道具にする一方で、何かの象徴として大切にしたり、結局当時の人々は自分たち人間をどのような立場の存在と考えていたのでしょうか。動物に対して自分たちをどう定義していたのですか。
現在の我々の視点でみるといかにも自分勝手に映りますが、彼らは例えばキリスト教のように、人間を他の動植物に秀でた「霊長」とは考えていなかったようです。動物の主神話などから分かるアニミズム的世界観では、人間が動物になり、動物も人間にメタモルフォーゼが可能です。人間の男は熊や山羊の世界に至ってその雌を嫁とし、子供を作り、その逆もありうる。そういった神話は狩猟採集社会によくみられますが、日本にも語られている異類婚姻譚(鶴の恩返し、狐女房、あるいは三輪山神話のような神婚譚など)はそれらを起源とするものでしょう。様々な儀礼や祭祀は、自分も含めた神霊の世界における、交流のための一メディア、もしくは一ツールであったといえるのではないでしょうか。