地獄の獄卒として牛頭・馬頭がありますが、これも牛や馬の供犠と関係するのでしょうか。

可能性はあります。牛や馬の姿をした水神が仏教へ取り入れられることも考えなければなりませんが、講義でも紹介した『日本霊異記』には、供犠された牛たちが亡者を告発する場面が出てきます。来世は現世とあらゆることが逆さまになっているという信仰は世界的に認められますが、地獄でも、生前の悪行を自分が返されることになるのです。殺した虫に追いかけられたり、間引きした子供に責め立てられたりするわけで、その論理からすると、牛頭も馬頭も人間に殺されたのだと解釈できます。人間の周辺で労役に駆使され、死に至ることが多かったために、それを後ろめたく思うメンタリティーのなかで、獄卒として定着することになるのではないでしょうか。