動物供犠は人身供犠の代用として行われたというが、それ以前の時代に人身供犠が行われた事実はあるのだろうか。また、人身供犠が動物供犠に変わる契機とは何だろうか。
日本列島で人身供犠が行われていたかどうかは、古くから議論の絶えない問題です。最近では考古学の松井章氏は、高知県の居徳遺跡から出土した9体の人骨に執拗な人為的殺傷の痕跡が認められることから、縄文時代から戦争があった、もしくは人身供犠のようなものが行われていたとの推測を述べています。かつて柳田国男と加藤玄智との間で論争が起きたときは、近代国家日本の過去にそんな野蛮な風習が認められてはならないという視点から、否定説の方が優勢になり問題は曖昧化してしまいました。そろそろ再考、再検討の時期が来ているのでしょう。ちなみに、人身供犠から動物供犠への画期は「合理化」の視点で語られることがありますが、必ずしもそうではないでしょう。アニミズム世界においては、人間よりも動物の命の方が大切であることもあったと思います。時代や地域の固有性から、ケース・バイ・ケースに考えてゆく必要がありそうです。