これは人身御供と比較すると、その特徴が顕著にみえてきます。人身御供は神にその体を供犠して捧げるもの、人柱は橋や建物などの文字通り「柱」となって未来永劫支え続けるものです。民俗学者の六車由実氏は、両者の違いについて、人身御供は神を祀る共同体の内部から選ばれるが、人柱は呪術的な力を発揮すると信じられた異人(共同体外部の人間)が選ばれるとしています。また国文学者の三浦佑之氏は、「自発性の有無」にその相違を求めます。つまり、人柱になって建物を支え続けるのは自ら犠牲となる強固な意志が必要であって、嫌々なったのでは役割が果たせないというわけです。どちらも一定の蓋然性が認められる見解でしょう。