特産物を地名に残すのは土地の目印として理解できるが、神の行為を地名に残すことにはどのような意味があったのだろう。神の加護をでも祈ったのだろうか。
例えば「飯盛山」という山名があったとします。実際各地に残る名前ですが、その起源は、山の形が飯を盛ったようにみえたからでしょう。しかし時が経つと、地名の由来としてもっともらしい物語が付加されてゆきます。人々が物事の起源として太古を想像するとき、それはたいてい神々の世に遡ってゆきます。天地創造しかり、文字の起源や酒の起源などもそうでしょう。地名も同じで、始まりを考えると神の行為に行き着くのです。面白いのは、もともとは神々に由来していた地名が、奈良時代になると天皇を起源とする段階に移ってくることです。例えば、「ここはオホクニヌシの神が船を造る木を切った場所なので舟山という」というパターンと同じように、「ここは仲哀天皇が船を造る木を切った場所なので舟山という」という言説が生産される。これは天皇の即神、現神化が進められた結果と考えられるでしょう。