桓武天皇の後継の平城天皇ですが、革新的な政策を行った人とすれば、なぜ高校までの日本史では何もしなかった人のように扱われるのでしょう。桓武天皇が目立ったからでしょうか。

平城天皇薬子の変で失脚したことや、平城を挟む桓武・嵯峨の評価が極めて高いことが一因でしょう。平城の細かな試みより、桓武から嵯峨へという大局的な整理を行った方が、平安初期の流れを分かりやすく捉えられるからかも分かりません。いずれにしろ一般に語られる「通史」は、様々な要素を篩にかけ、削ぎ落とすことによって「分かりやすさ」を保っているのです。大学で日本史を学ぶうえでは、その「削ぎ落とされたもの」を見つめ直すことが必要です。案外大事なものが隠れている場合が多いのです。