西門投巫、何謙焚祠

【レジュメの訂正点(主要なもの)及び注意すべきスキルについて】
・担当部分の読み、解釈についてはこれといって大きな訂正はありません。さすがによく読めていました。ケアレスミスもほとんどありませんでした。
・「皆叩頭血流」(レジュメp.2上段原文l.11)……「頭を叩ひて血流る」と訓んでいますが、「叩」にはどのようにふりがなをふりますか。「たたく」か「ぬかづく」だろうと思いますが、いずれにしても「頭を叩きて」となるでしょう。レ点を付けず、「叩頭(こうとう)」と音読みしてもいいと思います。
・「豪長者」(レジュメp.5注16)……「豪族」との説明がありますが、「富豪」も含めて理解した方がいいでしょう。
【テーマについて】……考察は多様な史料をきちんと使い、実証的に整理されていて素晴らしかったと思います。欲をいうと、西門豹については東洋史に専論が幾つかありますので(豊島静英など)、彼の治水や治政に関する実態的部分を補足するやり方もあったでしょう。しかし、『書紀』や『風土記』などの古代史料に加え、近世の『圃老巷説菟道園』を提示することで、西門投巫の言説パターンが時空を超えて受け継がれ、各時期・地域において説得力あるキャラクターへ置換され機能を果たすことが明確になりました。また、そうして創出された物語が、逆に置換された登場人物の属性へとフィードバックされ、新たな意味付与が行われることが指摘されています。歴史と物語り、人物を通じた歴史理解の方法について、重要な視点が追加されたと思います。和気清麻呂についてはどうしても宇佐八幡のイメージのみで語られがちですが、田中丘隅をはじめとする儒教的な治水事業(禹王廟の建設など)の展開を背景に、治水英雄としての姿がクローズアップされるようになった可能性がありますね。ちなみに、西門投巫の言説が『書紀』の水神殺害譚の典拠になっているかどうかですが、その可能性は高いものの、瓢箪を使ったウケヒなど古墳時代の祭儀に遡りうる記述もみられるので慎重な検討が必要です。ただし、西門豹の淫祠撲滅が、清麻呂の八幡託宣問題に結びつけられて理解されているとも考えられます。
ところで、質問が出たように、「儒教的である」ということが具体的に何を指すのかは、ちゃんと考えておく必要があります。イメージで理解しないよう注意しましょう。