昔の里山が緑で溢れていなかったという事実にびっくりしました。でももし禿げ山であったのなら、例えば「桃太郎」で「お爺さんが山へ芝刈りに……」とありますが、あれは何をしにいっていたんですか。

いいところに気がつきましたね。この桃太郎のお爺さんの行動こそ、室町期以降に禿げ山、草山、柴山としての里山を考えるうえで重要なヒントを与えてくれているのです。現在、「昔は田畑に肥料として何を与えていたのか」と問うと、たいていの人が「堆肥」と答えるでしょう。しかし、堆肥は「金肥」ともいわれ、金銭で売買される大変高価なものでした。室町〜近世の農村全般において利用できるものではなかったのです。では、当時の農村では肥料として何を使っていたかというと、それは草肥です。草や灌木、木の枝などを田に敷き詰め、これを肥料にして水田を経営していたのです。人間の生活空間にある山々は、この草肥の材料をとるために不可欠であり、ゆえに草や柴・芝を得るためあえて背の高い樹木を伐り尽くしていたのです。しかし、こうした行為を続けると土壌が脆くなり、頻繁に土砂崩れ等の災害が起きるようになります。また、流出した土砂が河川へ流れ込んで天井川を形成、洪水を起こしやすくします。これからのことから、幕府は度々山林伐採の禁止令を発布するのですが、「木を伐らなければ生きてゆけない」という農民の嘆願が続き、伐採の禁止と解除を繰り返してゆくのです。桃太郎のお爺さんは、薪としての柴を刈りにいったというのが大方の理解ですが、当時の農業の実情を考えると、草肥の材料の柴だと考えてもいいのだと思います。