藤原京建設による環境への影響について、反対する人はいなかったのだろうか。

上にも挙げた斉明朝の開発の際には、それに対する批判を大義名分に掲げた有間皇子の謀叛がありました。藤原京の造営過程においては目立った反対行動は起きていませんが、政府が律令国家建設のために着々と制度を整え、祭祀や儀式を繰り返して周到に人心の鎮静化を図っていたのは、やはり批判が予想されたためでもあったのでしょう。