藤原遷都の際、造営が完全に終わってから移るのでしょうか。また、造営にはどれくらいの時間がかかったのですか。

藤原遷都は持統天皇8年(694)12月ですから、天武が新城の建設計画をスタートしてから実に18年が経過しています。しかし、工事が本格化したのは持統朝になってでしょうから、10年弱といっていいかも知れません。遷都の際、政務を行いうる機能は備えていなければなりませんから、藤原宮の8割は完成していたとみていいでしょう。京内の宅地も、主要貴族のもの、下級官人のものはある程度完成していたと思われます。しかし、それはあくまで国政の運営に支障のない範囲で、遷都後も造営事業は続行されていたと考えられます。また、大藤原京説を前提とすれば、都のプランが完成されたことなどなかったともいえるでしょう。