藤原造営にはどれくらいの労力を費やしたのでしょう。 / 造営の際に石材を採ったり木材を伐採したりした人々は、どのような労働者だったのでしょう。

労役としての仕丁と、日雇いの雇夫といった単純労働力が主力であったと考えられています。前者は8世紀の養老令制で2000人強が上京し(食事を担当する廝丁も含めれば2倍)、各司庁へ配分されていました。日本律令の手本となった唐令にはないものなので、藤原京で本格的に始まった国家事業としての大規模開発を推進するため、工事の展開のなかで整備されていった制度であると考えられています。しかし、木材や石材の切り出しにはかなりの専門知識・技術を要しますから、渡来系氏族で木工や造船に携わった猪名部氏など、その目的のために編成された品部・雑戸や伴造氏族が強く関与していたでしょう。