平城京や平安京のような整然とした古代都市と、江戸のような雑然とした近世の都市のイメージはずいぶん違いますが、それはどうしてなのでしょう?

平城京平安京は、政治的目的によって意図的に創出されたもので、その意味では社会的・経済的なものとしての「都市」の定義からはかけ離れた存在です。礼的秩序を視覚化するために採られた整然とした区画配置も、庶民の日常生活とは無関係に設定されたもので、それゆえに「都市化」してゆく京都などでは、碁盤目状の枠組みのみを残しながら次第に内実を変貌させてゆきます。近世都市の江戸などは、確かに民衆の集住や政治・経済的機能の集中という措置が採られ、環境的にも整備されて生み出されてきたものではありますが、中世以降の在地住民の生活を基礎として成立してきたものです。中心に支配の拠点である城がそびえ、周辺を身分の高い家臣から庶民の家に至る城下町が取り巻くという構造は、碁盤目でないだけで礼の理念を反映はしていますが、基本的に外敵の襲撃に備えた城塞都市の形式でもあります。広大な平坦面を確保する古代都市とは異なり、軍事上の観点からも、元々の地形を活かした丘陵・開析谷・それを繋ぐ坂の多い景観となっており、庶民の生活領域はそれらに沿って拡大してゆきます。それゆえに、雑然とした印象を与えるのかも知れません。