疑偽経が草木成仏論にも大きく関わり、インド伝来の経典でないことは、インド・中国・日本の思想の違いを表しているのでしょうか。

そう考えていいと思います。当初、仏教が中国へ入ってきたとき、人々はその思想を理解するために儒教の言葉・概念を用います。また、六朝から隋唐にかけて仏教の民衆化が進むなか、道教やその他民間信仰との交渉もあって、だんだんと仏教の様相が変わってゆきます。一時期は、道士が修行して仙人になり、不老不死を手に入れることと、僧侶が修行して成仏することとがイコールで結ばれることもありました。疑偽経の成立してくる背景には、自分たちに分かりやすい言葉や思想を用い、仏教の高邁な論理を咀嚼しようという発想があるのだと思います。「疑偽経」というとマイナス・イメージが強いですが、中国や朝鮮半島、そして日本列島の人々が、仏教を自らのものとしてゆく過程で生み出した貴重な成果と考えたいものです。