「弓末の調査」=肉・皮革といった説明がありましたが、農作物はどうだったのでしょう。

稲については、やはり、神や共同体の首長へ初穂貢上の儀礼があったものと考えられています。それを受け取って食すことが、支配の確認の意味を持ったんですね。これは律令制に採り入れられて、租庸調の「租」に位置付けられてゆきます。