渡来系の人々にも自然神に対する信仰はあったのでしょうか。

それはもちろん持っていたでしょう。事実、日本各地には中国や朝鮮に由来すると考えられる神々を祀る神社が存在します。『書紀』や『古事記』のなかにも、太陽神と思われる「新羅王子天之日矛アメノヒボコ)」が渡来し、列島に定着してゆく様が語られています。ただし、5〜6世紀の渡来人が持っていた自然観と、日本列島の人々が持っていた自然観とでは、その依存性に対して若干の相違があったものと思われます。その相違は、具体的には、「どこまでが人間の土地で、どこからが神の土地なのか」という境界設定の広狭に現れていた。同じような文化的インパクトは、安土桃山時代におけるヨーロッパ人の渡来や、幕末〜明治期にも起こったはずです。支配者層はそうした思想に感化され、自らの利益のために利用していったのでしょう。しかし、社会の閉鎖性が極めて高ければその発想は根付きませんので、ちょうどその時期、知識や技術の浸透、人口の増大などによって、開発拡大の気運が高まっていたのでしょう。古墳寒冷期論を援用すれば、そうしなければ人口を維持できない情況に直面していたのだとも考えられます。