今回の講義のなかで、秦氏と蘇我氏が協力して寺院を建造したとありましたが、当時の建造ではどのような協力体制が採られたのでしょう。

考えうることは、1)人の移動(工人どうしが協力して活動する)、2)モノの移動(瓦などの物品のみが供与される)、3)技術の移動(建築・造営に関する専門技術が供与される)の3パターンとそれらの組み合わせです。具体的に、各寺院でどの形式が採られたかは分かりませんが、どれもありうることです。秦氏はクラの管理を通じて蘇我氏とは関わりが深かったわけですし、境部などとの繋がりも認められるわけですから、密接な交流があったと考えて不自然ではないでしょう。