蘇我石川麻呂の娘が異母弟日向に奪われたとの話は、近親相姦になるのではないかと思います。大王家内部での伝はあるとしても、臣下の事例は処断の対象になったのでしょうか?

唐律で最大のタブーとされた十悪には近親婚(「内乱」)が含まれていますが、それを継承した日本の律令では八虐となり、近親相姦は除かれています。唯一規定があるのは父祖の妻との奸で徒三年、唐律が父祖の妾との奸でさえ絞なのに対し、明らかに軽い処罰です。大王家の系図にみえる近親婚は、現実のものであるかどうか不明の点もありますが、やはり日本の古代社会は一般的にインセスト・タブーが希薄であったのだと想像されます。ちなみに上記の日向の話も、実は本当であるかどうか疑問の点もあります。『書紀』や『家伝』はこの事件を皇極天皇三年の出来事としていますが、浚われた姉に代わって中大兄の妃となった遠智娘は、翌年の大化元年までに大来皇女と鸕野讃良皇女を産んでいるので不自然の感は拭えません。あるいは遠智娘以外にも、該当する石川麻呂の娘が存在したのでしょうか。そのあたりは謎です。