最近の考古学関係のニュースで、「古墳の分析により、邪馬台国奈良説の可能性が高くなってきた」とありました。先生はどう思いますか?

以前にもどこかで話をしたことがあるのですが、現在歴博が大きく主張している見解は、放射性炭素同位体による絶対年代の分析方法が変わり、年代スケールが大きく変更されたことに拠っています。歴博では、とうぜんそのスケールの正当性を喧伝していますが、本当に認めてよいかどうか議論のあるところです。箸墓の年代の大幅な遡及も、付随的な現象といえます。私自身は、正直、邪馬台国畿内にあろうが北九州にあろうがどちらでもよいのですが、邪馬台国ヤマト王権との繋がりを前提とするのであれば、北九州説は不自然だろうと思います。『魏志』の記述もどれほど信憑性のあるものか厳密な吟味が必要ですが、もし邪馬台国が同書にあるような大国ではなく、九州周辺の盟主的なクニに過ぎないということなら(そしてヤマト王権と直接的には関係がないとするなら)、北九州説もなりたちうると思います。