富本銭は、当時、どのような目的で使用されたのでしょうか?

天武朝に使用され始めた当時は、呪術的な機能を持つ〈厭勝銭〉としての性格が強かったと思われます。モノやコトを仲立ちする貨幣なるものの機能は、アジアにおいてそれが発生した古代中国の殷帝国の頃から、呪術的な色彩を帯びてきました。鋳造量もさほど多くはなく、経済的な役割はあまり期待されていなかったものと思われます。文武朝には、伊勢などからのアンチモンの献上を前提に、鋳銭司を置いて量産体制に入りますが、あくまで「流通貨幣を生産している」という建前が大事で、流通や浸透に関する施策はほとんど打ち出されていなかったでしょう。それゆえに、唐の開元通宝に倣った和同開珎の鋳造が計画されてゆくこととなるのです。