秦氏の職能の多様さは相変わらずですが、彼らは自分の職能に合った地域をどのように探したのでしょうか。

秦氏の個々の集団が自らの意志で生活地を選び取ったというより、王権の側が産業を指定し、それに合った集団を配置したと考えるのが妥当です。問題はどのような集団編成を行ったのかですが、今回からお話ししている葛野秦氏を例に考えてゆくと、どうやら個々の集団自体には血縁関係が認められるようです。しなわち、讃岐の秦氏と葛野の秦氏との間には必ずしも同族的繋がりはないものの、葛野秦氏内部は血族として結束しているらしいということです。王権がそのような形で氏族編成を行ったのは、やはり産業の維持・活発化に適した結束の強い労働力を期待していたためなのでしょう。