なぜ書物によって中津宮の奉斎神が変わってしまうのでしょう。

律令国家の構築した神々の秩序に対する公式見解は、当初、『書紀』神代観の本文に拠っていたと考えられます。しかし、平安期には次第に『先代旧事本紀』や『古事記』の解釈が重要視され始め、その傾向のなかで次々と新たな氏文や縁起が作られ、中世神話の爆発へと結びついてゆきます。沖ノ島祭祀には、早くから王権が介入していますので、官社に位置づけられた宗像社は、より国家の意向に規制されていたものと思われます。周辺の海人系氏族や渡来人たちの信仰とは別レベルで、国家の公式関係に沿いつつ奉祀神の配置が変更されていたものと考えられます。