執節使粟田真人が与えられた権限とは、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

節は、中国の場合、羽や牛の尾で作った旗のようなものだったようです。日本ではその材料が揃わないので、古代中国で王から将軍が「斧鉞」を託されたように、刀を与えることで代用しました。これを与えられたものは、王の権限のうち自己の意見で刑罰を断行することができるようになります。外交使節や将軍は宮廷から遠く離れて活動するため、王の意向をいちいち確認することができないためです。鉞は軍令違反者の首を切り落とす象徴でしょうから、節刀にもそうした意味合いが込められたのかも知れません。