大宝律令編纂に刑部親王が参加したのは、宮廷の実力者である以上の理由はなかったのでしょうか。

忍壁親王がいかなる能力を持っていたのか物語る史料はないのですが、確かに、国史編纂や大宝律令の選定に当たっているのは、それなりの学識を評価されてのことだったと思われます。オサカベの名は皇子・皇女の養育のために設けられた名代の名称と考えられますが、それに「刑部」の字を当てて読むことには、何らかの意味があるのかも知れません。