日本は、これ以降も冊封体制のなかには組み込まれなかったのでしょうか。/ 新羅などは冊封体制に入ることに決めたのに、こうした相違はどうして生じたのでしょうか。

日本は倭の五王の後南北朝時代に至るまで、中国王朝に対して朝貢という形の外交は結びますが、それに応じて中国的な爵位や王号を賜与されるといった冊封は受けませんでした。一方の朝鮮半島は、常に歴代中国王朝との間に緊張関係を保ちつつ、結局は冊封を受ける形が続きました。この相違は、簡単なようですが、やはり朝鮮が中国王朝と地続きであったのに対し、日本列島は海によって隔てられていたからでしょう。半島へは、中国王朝への反抗的態度が明らかになるとすみやかに軍事介入が行われてゆきますが(もちろん失敗もあります)、日本へはそう簡単には武力進出できない。このような地理的環境の相違が、両者の歴史や文化に決定的な影響を及ぼしているといえるでしょう。