唐への報告のなかには、日本独自の文化や技術は含まれていなかったのでしょうか。

この時点では、まだ日本は辺境の蛮族に過ぎませんので、日本の文物への評価は「東夷がけっこうがんばっているね」程度のものであったと思います。しかし平安期に入ると、一部仏教の典籍などでは、「これほどのものは中国にもない」という賛辞を与えられるまでになってゆくのです。源信の『往生要集』などはその典型例で、廃仏や五代の混乱で衰退した中国天台山の仏教を復興する契機になったといわれています。