持統・元明・元正の女帝の頃は母系継承がありえたのに、父系継承の論理が広まっていったのはなぜですか? / 奈良時代における女性の地位について教えてください。

講義でお話ししているように、天武・持統朝の頃から父系嫡系継承が中心的政策となっていたことと、平安期以降、天皇家摂関家を端緒に家父長制が定着してゆくことと関連があります。8世紀においては、律令によって皇位の母系継承も認められていましたし、女官や五位以上の女性が公的家を設営することも可能でした。しかし9世紀頃からその数は減少し始め、逆に摂関家をはじめとする男系の家制度は次第に確立し、摂関の妻のみに北政所という家政機関が設置されてゆくことになります。男性の家長と女性の家室による安定的な〈家〉の表現です。中世に至るまで、庶民の家々では女性の政治的権利、財産継承権などが認められていましたが、天皇家摂関家から始まった家父長制の浸透によって、次第にその内実は空洞化してゆくのです。