八世紀にはそまざまな書物がつくられ、文書行政も発展してゆきますが、日本ではそれほど紙を作る技術が進んでいたのですか。

寿岳文章氏の研究によると、8世紀には、1日平均170枚、年間で62,000枚の紙が生産できていたようです(『日本の紙』)。この他にも木簡が使用されていましたので、中央官庁の文書行政を支える程度の分量はあったと考えられます。『書紀』や『風土記』を生成論的に考えるとき、その資料や草稿はどのような形態で存在していたのかは重要な意味を持ちますが、木簡での保管・編集、紙への清書という方向性は考えられていいでしょう。