墨書土器や人形などは平城京の水路に流されたとのことですが、邪悪な感情の流れている水路もよくないものとみなされたのでしょうか。

流水はやがては海に流れ着き、海は穢れのたどり着く「根の国」に通じているとみられていました。これは大祓の祝詞に明記されていることで、だからこそ呪物や祓物が水路や川に投じられたのでしょう。古来、流水が禊ぎの場として機能していたこととも関係すると思われます。このような古代的心性は、「ちょっとくらい大丈夫」と川や海へゴミを捨てる現代日本人の心性と、どこかで結びついています。やはり古代においても、これらのゴミが水路によく詰まり、洪水などの際に道路に汚物が溢れ出すといった惨状を呈したようです。