秦氏が治水を行ったのは、渡来人として技術を持っていたたためなのですか。

秦氏の葛野定着を偶然ととるか、それとも王権の意志の介入を考えるかによって、位置付け方は違ってくるでしょう。私は講義でお話ししたとおり、両方の面があると思っているのですが、いくら渡来系であるからといって、秦氏のすべてが治水技術に秀でているとは考えられないので、葛野地域には相応の技術を有した集団が選択的に配置されたとみるのが妥当でしょう。以前は偶然的要素が強いと考えていたのですが、現在は今日の講義でも述べたとおり、渡来の文物の管理という意味でも国家的意向が大きく働いたものと考えています。