古代の民衆にとっての寺とは、現在の我々に対する場合と同じような価値を持っていたのですか。

かつては、例えば国家仏教の官寺などの活動は民衆にとって無縁であったと考えられていましたが、近年の研究によって、国家公認の官僧が広く地方へ赴いて一般へ布教したり、東大寺のような大寺院へも庶民が参詣していたことが明らかになってきました。古代人の宗教心が現代人のそれとどう違うかは様々に論じうるでしょうが(例えば、葬式仏教というより現世利益の方が強かったでしょうし、極楽への希求もその延長上にあったとみられます)、社会における寺の位置付けとしては大きな相違はなかったと考えられます。