葛野大堰は、具体的にどれほどの人員と期間をかけて造営されたのでしょうか。

残念ながら、葛野大堰に関する文献史料は講義で挙げた『政事要略』のものだけなので、成立過程に関する具体的なことはよく分かっていません。考古学的には、渡月橋の南東傍らから、古墳後期の大溝(大堰からの水路)が発掘されていますので(松室遺跡)、6世紀頃に築造が開始されたことは確かです。その後、奈良時代にも度々修築された形跡がありますので、長い時代をかけて、周辺の秦氏を中心とする共同体が維持・発展させてきた施設なのでしょう。