史料12に長屋王の最期が描かれていますが、子供たちのことは書いてあるのに、吉備内親王の記述がないのが気になりました。

そうですね。『霊異記』撰者の景戒は宮廷と関わりのある人ではありませんが、長屋王事件がなぜ起きたのかは正確に把握していたのかも知れません。つまり藤原四子が狙ったのは、皇位継承権のある長屋王と、吉備内親王との間に生まれた皇子たちだったということです。景戒は聖武を聖帝視しているので、藤原氏批判はせず、長屋王の死を仏罰として肯定的に描いています。