律令制によって、実際に民衆を統治することはできたのでしょうか。また、統治される側の民衆の認識はどうだったのでしょう。

まがりなりにも統治は成り立ち、国家は運営されてきたので、支配機構として一定の役割は果たしたと思われます。古代などの古い時代になると、支配者と一般民衆との間にはずいぶん距離があるように思われがちですが、例えば条例などを知らせる告知札木簡なども各地で出土しており、防人やその家族の歌なども残っていますので、民衆にも国家なるものへの認識があったことを確認することができます。しかし、すべてが律令の規定通りに進んでいたかというとそうではなく、時代や社会、もしくは地域の実情に合わせて臨機応変の対応が取られていたようです。