東巴文化における〈読む〉ことの宗教的威力というのは、言霊の力と似たようなものでしょうか。

コトバが現実世界に変化をもたらす、という意味では共通しているかも知れません。しかし、言霊はアニミズムがコトバにも及んだものですが、東巴経を読み上げたコトバには精霊が宿っているわけではないでしょう。中国の『詩経』には、詩とは神々の心を慰め感動させるものであると出て来ますが、この思想は古代日本へも確実に受け継がれます(最古の歌論書『歌経標式』に同様の文言が出て来ます)。東巴の場合も、コトバそのものではなく、経典朗誦の形式が特別な意味を持ったのだといえるかも知れません。