日本人が食べなかった家畜は、何のために使われたのでしょう。また、平安時代にも狩猟による肉食をしていたのですか?

主に農作業や交通・運輸、軍事などに使役されていました。古代の律令国家段階から、列島各地に牧(牧場)が設けられて馬・牛の飼育・繁殖を担い、中央にも飼育・訓練のための機関が置かれていました。兵部省兵馬司、左右馬寮(主馬寮)・内厩寮、東宮主馬署などがそれで、大部分は交通・軍事用の馬のための機関ですが、宮内省乳牛院・贄殿など、牛乳の生産や食肉に関する役所も存在しました。贄は鹿肉・魚貝などの特産物を天皇に貢進する制度で、天皇が肉食した根拠となっています。平安期の狩猟としてよく知られるのは鷹狩で、天皇も貴族たちも盛んに行いました。文人のイメージが強い一条天皇や、歌人として知られる在原業平なども鷹狩の愛好者です。この流行の背景には仏教の殺生戒の浸透があるのですが、鷹を介して獲物を捕る鷹狩は、「人間が直接殺生を行うものではない」という方便が大きな意味を持ったのです。