『聖徳太子』のドラマで、仏教を奉じた太子の側にもシャーマンらしき人々がいましたが、どういうことなのでしょう?

日本書紀』の崇仏論争記事では、豪族たちが神祇派/仏教派に分かれて闘争したように書かれていますが、それはフィクションに過ぎません。どうやら物部氏も仏教を信仰していたらしいことは、勢力範囲から発掘された寺院跡から推測されていますし、蘇我氏も神祭りの祭具を生産する工房の管理を担当していました。仏も神祇信仰の一類型として、他の神々と同じように認識され、信仰もされていたと考えられます。今後講義でも扱いますが、上記のような「捏造」を行っている『日本書紀』にさえ、推古天皇の命令で、厩戸皇太子と蘇我馬子が神祇信仰を励行したとの記事が掲載されています。仏教信仰は神祇信仰を否定するものではなかったんですね。