『書紀』と『古事記』の比較ですが、内廷的な『古事記』にはどうしてリアルな天皇が描かれているのでしょうか。

各記事によって情況は異なるので一概にはいえませんが、『古事記』の方が赤裸々な伝承が描かれていますね。それ自体が、本来、各豪族の家々や、宮廷内で語られていた先人たちの姿だったのでしょう。これも近現代の感覚と古代の感覚との相違で、大王の滑稽な姿も、現実の大王の権威を否定するものではなかったのだと思います。例えば、ヤマタノヲロチ退治に活躍する英雄神スサノヲは、母を恋しがって泣き叫び、その猛威によって多くの犠牲者を出してしまうような神でした。皇祖神アマテラスにも、スサノヲとの誓約に敗れたことを言い繕って相手のせいにしようとするなど、現代の感覚からいうと、決して立派とはいえないような行為がみられます。もちろん、『古事記』にも様々な編集の手が加わっているでしょうが、このような点を発見できるのは貴重といえます。