『日本書紀』も『古事記』も信用できないとすれば、古代には本当の歴史書は存在しなかったのでしょうか。 / 日本の史書が漢籍の影響を強く受けて叙述されているのは分かりましたが、日本が参考にした中国の史書には事実が描かれていたのでしょうか。 / 史料に嘘が書かれていることが多いなら、歴史学はなぜ史料を基本とするのでしょうか。

なかなか難しい問題です。中国では、王朝交替の度に前代の政治のありようが検証され、それが天の意志に沿っていたかどうかを問う史書が編纂されました。歴代の史官たちは、もちろん王朝に奉仕する官僚ではあったわけですが、それ以前に天命に従おうとする意識が強かったといいます。一族全てが権力者に殺されようと、事実を書き残そうとした史官の逸話などが伝わっています。5世紀の劉勰による文学論『文心雕龍』には、史官の役割について、「史官の任務は、一つの時代を総合的に評価することである。その結果、天下に対して責任を負い、善悪の批判を受けることになる。筆を執ることによってこれ以上の労苦を担うものは他にない。……もし私情に任せて正道を踏み外せば、史伝の文学は危殆に瀕することになるだろう」と書かれています。しかし、実際には中国にも偽史の伝統が強固に存在し、伝世文献のなかには疑わしい書物、記述も多く存在します(日本の史書はそれを思いきり小規模にしたようなものですから、かわいいものです)。その意味では中国にも「本当の歴史書」は存在しなかったことになりますが、そもそも、書かれている内容がすべて客観的に正しい歴史書など、現実には誰にも書きえないでしょう(もちろん、現代においても)。恐らく、過去を事実として正しいか、誤っているかという二者択一的視点で把握すること自体が間違いなのです。歪められた史実が書かれているとしても、それはその時代を考察するための一級の史料となりうる。ありとあらゆる史料から、それが不確かであるがゆえに史料批判の技術を駆使し、豊かで多様な過去を浮かび上がらせる。それが歴史学者の仕事ということになります。