『日本書紀』の記述が多く漢籍に依拠しているなら、その浅薄性がすぐに暴露されてしまって、対外的な意味など持ちえなかったのではないでしょうか。

確かにそうでしょうね。いかに「中華と同じ水準を目指し」、多くの漢籍をちりばめて作成したといっても、その粗雑さ、浅薄さは否定できません。それをあえて主張してしまうところが、8世紀の日本古代国家の限界だったのでしょう。