『宇津保物語』では仲忠が熊に敬語を使っているようですが、これは単に恐怖のための口ぶりですか?熊は人間の言葉は聞けても、しゃべれないのでしょうか?

敬語は、神に対する言葉遣いだと考えていいでしょう。熊が言葉を失ってゆくのは、それだけ獣に近づいているからです。『古事記』ではしゃべっていた熊も、『宇津保物語』では沈黙する。その描写が写実的になってゆくぶんだけ、神聖性からは遠ざかってゆくのです。